第八章 無名山中
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第八章 無名山中
目覚めた絵巻
漂う白い霧は消えてゆき、目の前に現れたのは見覚えのない場所だった。その景色は剣境にまったく似ておらず、山の岩から森や草まで筆で描かれていた。
無剣:まさか……ここは絵巻の中なの?
私は指で土を少し取り上げ、匂いを嗅いでみた。
無剣:やはり本物の土ではないね。まさか…顔料?
???:隠者の長巻に入れるとは、君こそが宿命の人なんだろう。
誰かの声がはっきりと伝わってきた。
無剣:そこにいるのは誰?
しかし周囲は静かのままで、物音一つ帰ってこない。周囲を見回ったが人影すら見つからなかった。
草むらから小さな音が聞こえ、鹿の角の生えた少年がぴょんと跳ね上がった。
無剣:君は……?
鹿角の少年は口を閉ざしたまま、すぐさま私を襲ってきた。
絵巻の前
テンコウと重陽宮を出ると、私たちは直接剣塚に戻ることにした。
テンコウは考え事があるようでずっと黙っていた。
休憩するときにぼーっとしていることがたまにあり、顔は常に終南山の方角に向かっていた。
聞いても茶を濁すばかりだったが、何を考えているのかすでに誰にも分っている。
無剣:テンコウ、浮生の陰謀はもう道長たちに伝えたよ。
帰一さんと秋水さんは、きっと正義を主張してくれる。だから心配しなくてもいいよ。
でも、もぢ弟子たちはまだ意地を張っているのならば……
テンコウ:もともと資質も平凡な上に、いつもダラダラとし、武功も修行もいい加減です。全真教が奴らのせいでだめにならないよう、小生が全真教を栄えさせなければならない。
もし掌教の座に付いたら、絶対奴らを全て追い出します。
無剣:(テンコウは全真に戻ることをこんなに思い悩んでいるのに、もし帰一が予見したことが本当に起こってしまったら……)
(今回兄弟弟子たちに重陽宮から追い出されたことが、あの悲劇につながっているのかな?)
無剣:(はぁ、なに不吉なことを考えてるの私。絶対ありえないのに。)
無剣:(テンコウが渡井にしたことは修行の事と全真の変の事だけだった。)
(ずっと自分を許せずに努力を積んで、明日にでも一人前の全真の弟子に成長しようと頑張ってきたんだ)
(たまに重陽宮の生活を口にすると、彼の心の底の喜びが目に見えるほどに溢れていた)
テンコウ:なに?
長い間口を開かない私をテンコウは焦った目で見ていた。
無剣:な、なんでもない。
もし弟子たちがまだ意地を張っているのならば、私がみんなと一緒に説得してやあげますよ!
帰一と秋水が傍にいれば、弟子たちも文句を言わないでしょう。
テンコウ:……
ちょっと休んだ後、私たちは剣塚へと出発した。
魍魎の大群の気配はなかったが、山には何匹か逃したのがいた。
未知の境
武当が敵襲されたことを知ったのは金鈴に出会った後だった。真武道長は二日前に弟子たちを率いて支援しに戻った。
罠と八卦の迷陣のおかげでやっと魍魎の最後の攻撃をしのぐことが出来たそうだ。
無剣:金鈴、今回は古墓刃のおかげだわ。あなたたちが鎮守してくれなければ、もうどうしたらいいかわからない……
金鈴:ふん。
金鈴:変なことを言わないでよ。
金鈴は目を俯せると、くるりと去って行った。
無剣:この方は全真教のテンコウ道長。帰一道長の命令で私たちに協力することになる。
金糸、案内してあげていいですか?
金糸:うん。
二時間前。
無剣:(間違いない。私が予知したのはこの絵だ。)
無剣:(おかしい……「無名山」の三文字がないし、主の署名もない。)
(絵巻の内容はまったく同じなのに……まさかわざと隠したの?)
絵巻を取り、石台の上で開いて、泉水を汲んで怪しそうな所を濡らしてみたが、何も起こらなかった。
無剣:(水をつけるんじゃないなら、火で試してみよう。)
次に、蝋燭の煙で字を浮かばせようとしたが、思い通りにはならなかった。
無剣:(水でも火でもないと言うなら……)
(主よ、いったいどうやって字を隠したというの?)
無剣:(隠した?ちょっと待って、もし最初から字などなかったとしたら?)
(私が予知したのは未来のことなら、あの字は私がこれから書く字なのかも。)
それを悟った私はすぐ筆と墨を持ってきて、絵巻に「無名山」と「剣魔」の字をかいた。
筆が止まった瞬間、絵巻が私の体に巻き付いてきた。
瞬く間に、深い霧が溢れ出し、私を中心へと包み込んだ。
再び目に光が映った時、私は未知なる場所にいたのだ。
隠者の長巻
漂う白い霧は消えてゆき、目の前に現れたのは見覚えのない場所だった。その景色は剣境に全く似ておらず、山の岩から森や草まで筆で画かれていた。
無剣:まさか……ここは絵巻の中なの?
私は指で土を少し取り上げ、匂いを嗅いでみた。
無剣:やはり本物の土ではないわね。まさか…顔料?
無剣:(署名が剣魔だというなら、これは主が作った幻だということ。)
(ぱっと見ると陰陽玉佩に似ているが、ここは魂の境界ではなくてただの絵巻のようだ。)
???:隠者の長巻にはいれるとは、君こそが宿命の人なんだるう。
誰かの声がはっきりと伝わってきた。
無剣:そこにいるのは誰?
しかし周囲は静かのままで、物音一つ帰ってこない。周囲を見回ったが人影すら見つからなかった。
草むらから小さな音が聞こえ、鹿の角の生えた少年がぴょんと跳ね上がった。
無剣:君は……?
鹿角の少年は口を閉ざしたまま、すぐさま私を襲ってきた。
宿命の人
やっと落ち着いて山のふもとに進もうとしたら、また例の声が聞こえてきた。
???:ちょとまて。
無剣:?!
???:お名前を伺っても?
無剣:私は無剣。
剣塚の主に代わる者です。
言い終わったとたん、眼の前の空気がグラッと揺れた。
香る風が吹いてきたとい思うと、錦袍を羽織った少年が目の前に現れた。
淡々と微笑を浮かべているが、目つきの鋭さが隠れて見える。
無剣:さっき言ってた宿命の人って、どういう意味なの?
???:ふふ、話すと長くなる。
君が剣魔の遺志を継ぐ者ならば、俺が持っていた宿命の人で間違いない。
無剣:もしや、主人のご友人ですか?
???:歸雲(きうん)、一たび去りて、蹤迹無く。何處(いづこ)是れ前期なるか。
彼は淡々とした表情を浮かべたまま、私の質問に答えなかった。
無剣:私は今回ここに来た理由は……
???:君が何をしに来たのかはわかってる。
五剣の境を救う方法を探しに来たんだろう?
無剣:そう、なぜそれを……
???:君が視点を乗り越えられれば、考えよう。
まずは渓流に沿って進みたまえ、四弟が君を待っている。
???:それと気を付けるんだな。
この隠者の長巻で死ぬことは、五剣の境から消滅することと同じだ。
無剣:……ありがとう。
画中の境界
無剣:すみません……
彼は持っている絵をじっと見つめて返事はしなかった。
無剣:無剣と申します。あなたは……
やはり返答してくれない。書画にはあまり詳しくないが、あの真剣っぷりをみると相当な名作なのだろう。
無剣:ちょっと伺いたい事があるのですが、この無名山に……
無剣:(何度声をかけても、絵を見つめてばっかり。絵に魅了されてしまったのだろうか。)
(ならば絵の話なら……)
無剣:たしかに素晴らしい絵ですね。
???:ほう?
あなたも絵を嗜むのですか?
絵に見とれている男性は突然顔を上げたと思うと、私の存在に今気づいたらしく、何歩か後ろに後ずさった。
無剣:あ……正直に言うと絵に関してはまだまだ素人なのですが。
しかしあなたの持っているこの絵の独特さに感服し思わず声を出してしまったわけです。
???:ふふ、ご謙遜を。
是非聞かせてください。
無剣:まるで空を切る剣のように無駄がまったくない山の線に、矢が降り注ぐように紙に散らばった水の模様、そして技にこだわらぬ剣士のように自由自在な岩の余白……
???:ん~、ふふ、やれやれ…(苦笑)
無剣:ちがうのですか?
???:私に言わせると、大間違いですね。
無剣:ええ?!
???:あなたは私のある人に少し似ています。
???:彼は琴棋書画(きんきしょが)を少し嗜むのですが、常に神出鬼没な剣術を研鑽しておりました。
あなたが先ほどおっしゃったのも武術の範疇でして、真に絵画とは何かを理解してはいません。
???:こちらに。お教えしましょう。
無剣:恥ずかしい限りです。お願いします。
???:まず初めに、これは絵画であり、武術書ではありません。覚えておいてください。
???:其の二、絵画は生気躍動、記憶叙意を重んじます。人物画であろうと風景画であろうと、描くものの真髄を映し出さなければなりません。
???:先ほど私が愛でていたのは故人がわざわざ探してきた名家の真蹟(しんせき)です。横長の巻物に江湖の山水絶景を描いてあることです。
???:こちらをご覧ください。
彼は私をそばに招いた。だが、目の前に突然火が現れたかと思うと――
画伯
無剣:どうかお願いします。
彼は笑うと、例の絵巻に指を指した。
???:この絵には、古木、山石、滝、絶壁と雲海が描かれています。
このうち、古木の描き方は非常に素晴らしい。
古来から書画の一家はまず円満流暢の篆籀(てんちょう)法で書く事で、絵を描いたのです。
???:また、この山石です。こちらは飛白法が使われています。鋭利な筆使いで山石の形態と質感を見事に表現しています。
???:近くから遠く、連なった山の石、松涛。茅葺小屋、木橋がその間に見える。
淡い墨で皺を作り、さらに濃墨、重墨で輪郭を描き上げます。
???:この絶壁には滝と泉があり、上は雲と、下は渓流とつながっています。
水気が全編に広がり、絵自体が生き生きとしています。
???:この絵は重厚で飽満に描かれています。
高山の巨石は天を突いて立ち、粗密な林が広がり、水流がその間を走る。
足を止めて見つめれば、その世界に入ったように感じられる。
無剣:……絵の鑑賞がここまで奥深いとは……
???:ふむ、見込みがあるようですね。
私も初めてこの絵に接した時は貴方と同じようなことを感じていました。
無剣:なんと素晴らしき文才。心の底から感服しました。
しかし解説してくれても、三割ほどしかわかりませんでした。
???:間道には前後あり、術業には専攻あり。
あなたは巧妙な技を目にしても、言葉には幾分かの道理がありました。
ある意味、絵の分かる人、と言っても良いでしょう。
無剣:恥ずかしい限りです。
???:ふふ。先ほどは絵に夢中になってしまい、あなたに気付きませんでした。お許しください。
無剣:とんでもございません。お名前を伺ってもよろしいでしょうか?
千丈:私は無名山(むめいさん)の隠者の一人、四番目にあたる千丈と申す者
千丈:宿命の人よ、どのようにお呼びしたら?
無剣:私は剣塚の主に代わる者です。
無剣と呼んでください。
千丈の巻
千丈は持っている絵巻を撫で、小さく頷いた。
千丈:あなたに話しかけたのは三絶です。
私たちは隠居の順番に基づき序列があります。私は四番目、彼は三番目、六爻(ろくこう)は第二、幽谷(ゆうこく)が一番目になります。
無剣:試練とは?
千丈:あなたと深い関係があります。
あなたがこの絵の中に現れたということは、五剣の境に危機が迫っているということでしょう。
まずは詳しく教えて頂けますか。
無剣:実は……
木剣の反乱と魍魎の異変など、今までの一部始終を伝えた。
私が語るにつれ、千条は驚愕の混じった悲しい表情になっていった。
千丈:そのようなことが!?
無剣:木剣の行方が分からない今、奴はきっと剣境を滅ぼす計画を考えているはず。
空間が錯乱したところでは、歪んだ裂け目の出現が頻繁になっていて、夢妖と夢魘も姿を現すようになっています。
無剣:もしいま世界を救わなければ、世界がバラバラになってしまいます。
千丈:実は、この無名山には世界を修復する神器(じんぎ)が隠されているのです。
無剣:本当ですか?
千丈:うん。
喜ぶ私を見て、千条は何か思いついたようで、眉をひそめ言い始めた。
千丈:しかし、その場所と使い方は、長兄殿しか知りません。
三兄が言う試練とは、あなたがその宿命の人であることを証明する方法なのです。
無剣:四人の試練を……
千丈:その通りです。
我々四人は剣魔の頼みを引き受け、無山で世界を修復する神器を守っています。
宿命の人が訪れたときに、我々が試練を課し、本当にその重責を担えるかどうか判断するために。
千丈:すべての試練を乗り越えることができたのなら、我らはあなたが世界を修復できるよう全力を尽くします。
千丈:もし貴方が試練に敗れれば、私たちは剣魔の意思に基づき、動きます。
貴方には永遠にこの絵の世界の残ってもらい、一切五剣の境に関われなくなります。
無剣:絵の中に残る?!なぜなのですか?!
千丈:たとえ五剣の境が崩壊しても、この絵の世界が貴方を守るからです。
かの人との約束を、我々は守ります。
無剣:(なるほど。主がこの絵巻を残した理由はこれだったのか)
私は感慨を覚え、切ない気持ちになってきた……
無剣:始めましょう。
千丈:さすが、剣魔を遺志を継ぐ人ですね。この千丈、感服致しました。
千丈:私は一生、絵と共に生きてきました。残念でもあり、残念でないともいえます。
もしあなたが私の手中にある長巻を突破できるのであれば、次の目的地まで導きましょう。
無剣:主の友と切磋できるとは、何たる幸運。
ではお願いします。
千丈:いきますよ!
山の中へ
千丈は敗北してしまったが、満足な表情を浮かべていた。
千丈:私の伝家の宝筆を持ち出したのですが敵わず、感服しました。
無剣:千丈さんが使った技、青光ととても似ていますね。
主人に習ったのでしょうか?
千丈:はい、しかし私は剣魔と比べるとまだまだ天と地ほどの差があります。
絵画の究極の力を鋭利さに付与し、数で相手を圧倒することで、剣の境地まで昇華させているのです。
千丈:ふりかってみると、あなたの剣術は誰から学んだのですか?
変化が激しく、少しも剣魔の筋を見出せませんが。
無剣:……わたしは木剣の不意打ちをくらい、重傷を負い今まで回復しておりません。
あなたの権限まで早い技に対応するには、多く変化を技に組み入れるしかなかったのです。
千丈:なるほど……
千丈は何か分かったように私を見つめている。新しい技でも思いついたのか。
無剣:千丈さん、ある事にずっと疑問を抱いてきたのですが……
主人は絵を描くのが苦手な事は知っていますし、私たち五剣も隠者の長巻にある絵の世界など聞いたことありませんでした。
無剣:ここに来れたのも天火のおかげです。主人はそのことについてどう言っていたのでしょうか?
千丈:私の試練を乗り越えたのですから、隠す必要はなくなりましたね。
千丈:この隠者の長巻は私は描いたものです。しかしこの絵の世界は剣魔が作ったものです。
隠者の長巻は剣境の中にありますが、絵の中の風景は剣境の外のものです。別の世界とみてもよいと思います。
千丈:剣魔は周遊の際、自分が死んだあと、五剣の境に大きな変化が起こると予見していました。
あなた方五剣がこの世界を守るという誓いを破るであろうとも。
無剣:主人はまさか誰が裏切るか分からなかったのでしょうか?
千丈:はい、なので剣魔はあなた方に黙って、剣境を修復する神器を誰も知らない隠者の長巻の中に隠したのでしょう。
そして誰かが間違って絵の中に入らぬよう、剣魔はその鍵となる天火を秘境、終南山に隠したのです。
千丈:剣魔は全真教が蒼生を重んじ、必ず大局を見つけることを知っていました。
なのでこの世界の存亡に密接な関係を持つ人物が尋ねることも。
千丈:剣魔は私達に、必ずいつか、自分の遺志を継ぐものが絵に入り、助けを求めに来ると、言っていました。
無剣:主人はその人の名前を語りましたか?
千丈:いえ。
私は心が小さく震えたのを感じ、過去の出来事がよみがえってきた。
無剣:(まさか、主には誰が誓いに背くか分からなかったのか?)
(それとも、彼の遺志を継ぐ者が私かどうか分からなかったから?)
無剣:(剣魔の本当の遺志とはいったい……)
千丈:私もよくわかりません。
無剣:(今こんな事で悩んでも面倒が増えるだけだ。)
無剣:千丈さん、教えてくれてありがとう。
千丈:大丈夫です。お互いを認め合わなければ、これほど絵について語ることもなかったでしょう。
無剣:主人の遺志はまだはっきりと分かりませんが、今は剣境を修復できる神器を手に入れる方が肝心。
千丈さん、山へ案内してくれますか。
千丈:それなら渓流に沿った小道から山に登ってください。三絶があなたを持っていることでしょう。
無剣:一緒に来ないのですか?
千丈:はい、私達は他人の試練に手は出しません。
すべての試練を乗り越えれば、招集されあなたを合流できるでしょう。そうすれば皆と一緒に絵から出れます。
無剣:はい、では失礼します。
千丈:山頂でお会いしましょう。
私は千丈に別れを告げ、言われた道を進み山を登る。やはり道には危険が潜んでいた。
虚実の幻夢
一時間後、ある広々としたところに到着した。
耳を澄ませば、音楽が聞こえてくる。
その清く安らかな音色を聞くと、古琴の類ではないらしい。
何歩か歩くと、藁の家の前に到着した。
扉は小さく開かれていて、蝋燭の光が中で揺らめいている。
淡い香りが一面湧いてき、華やかな女性が花びらを踏んで出てきた。
顔や体から見るとまだ少女のようで、
花の冠に赤いメイクで、提灯を持っている。
挨拶しようかと考えていると、聞き覚えのある声が藁の家から出てくる……
三絶:風細々なる危楼に佇み春愁を極めて望むと 黯々としつつも天間際より出する
草色煙光に映りて 我が意を誰か知らん
三絶:疎狂となりて一酔を図る 酒に対して歌うに当たり 無理に楽しむも味気なし
衣帯緩むも悔いは無し 貴方のためなら消えるも良し
少女は眉をひそめ、三絶の詠む詞を提灯に書いた。
三絶:簫々暮雨 江に向かい清秋を洗う
雷風凄み 山河冷落 夕日は当楼を映す 所紅哀翠減 華やかさも冷す
唯長江の水 声なく束に流れる
三絶:高きに登るも不忍 故郷を望むも渺邈とし 帰る思いもしまい難く 帰る都市の消息を嘆き なぜ我は苦して留まるのか
佳人は粧楼にて幾たび 天際の舟を見る
知るはずもない 我欄干に依りて 正に凝愁に思う
少女の口からため息が漏れた。筆を上げ提灯に詠んだ詞を書き続けた。
三絶:寒蝉凄切 夜の长亭に向かいて 驟雨止まる
都門の帳ではななく飲みれ止まりたくも 舟は立つのを急かす 手を取りて涙で相見るも言葉なく
念ずるも去り 千里煙波 霧は梵天に沈む。
三絶:多情 古より傷をもって離別する 冷落の秋節更に堪えん
今宵酒から覚めるのは何処か 楊柳の岸にて 風と月を迎え 幾年経ちも 良辰好景も虚ろなり
千種風情 何人に話すか
詞を詠み終え、その声は一間を置くと……
三絶:訪ねし者は宿命を負いし者か?
無剣:はい、三絶さんですね。
閉ざされた扉が開かれ、三絶がゆっくりと出てきた。彼が扉にもたれ、顔に笑みを浮かべた。
三絶:そのとおり。さもなくば、誰が君がくるのをこれほど心焦がしてまつものか
無剣:……
千丈の試練を超えました。あなたの試練は何でしょう。
三絶:俺の試練か……
じっくり考えないとな。筆一本で天下を渡り歩く風流才としては、試練を受ける対象はまず相手から認められなければならないと思うんだがな。
無剣:(似たような人を知っていてよかった。でなければこの小屋を壊してやりたいものだ。
三絶:しかし、俺が認めるのは一人しかいない。まずは彼女と手を合わせてもらおうか。
無剣:彼女?
提灯を持った少女はこちらを振り返り、軽くお辞儀をした。よく見ると、彼女の服にある花びらの色は、なんと三絶の筆の色と全く同じ色であった!
無剣:ねぇ……
黄梁一炊の夢
無剣:はぁ……はぁ……はぁ……
三絶:彼女を殺せ
無剣:そんなことできません。
三絶:なぜ手加減をする?永遠にこの絵の中にとどまってもよいのか?
無剣:ここまでです。私は殺せない。試練を受けに来ただけです。
無剣:絵の世界の生き物は顔料でできているとはいえ、命が宿っているのは間違いない。
三絶は眉をひそめ、興味津々な眼差しで私を見ている。
三絶:うぬ、仁の心を持っているようだな。感服した。
先ほどのはわざと試したのだ、許せ。
無剣:いえ、三絶さんならおそらく私を軽々と止めるのでしょう。
三絶:君……
むう、どうやら筆に着いた顔料に気付いたようだな。
無剣:はい、その通りです。
彼女は娘さんなのですか?
三絶:いや、違う。
三絶:彼女は私が夢に見る女性だ。
無剣:夢!?
三絶:はは、一睡の夢に過ぎん。
もし俺の話に興味があるなら、試練が終わったら話してやろう。
三絶は首を横に振ると、真剣な表情を浮かべる。
三絶:なに、挨拶のようなものだ。あまり本気にするな。
無剣:挨拶が終わったのなら、本題に入りましょう。
三絶の筆
無剣:三絶?
三絶:疑問形で名前を呼ばれると、このような気分になるのだなぁ
無剣:……本題を話しますよね?
三絶:っはは、それでいい!
試練は重要だが、畏まる必要もない。
三絶:よく聞け。俺の名三絶とは詩(うた)を作り、詞を埋め、絵を描くことを指す。
それで勝負しよう。
無剣:(まずい……千丈に絵のことをたくさん教わり、青蓮工部とも詩を詠み合ったが、絶対彼の相手ではない)
三絶:この人は詩書を読み漁り、経論を腹にため込んだ、自照風流才子だ、勝てるわけがない。
三絶:眉を顰めているから、すぐに何を考えているか分かった。
安心しろ。君はあまり琴碁書画を嗜まんだろうから、それらを試練の内容にはしないつもりだ。
無剣:え?!では先ほど…
三絶:千丈の武器は彼の絵巻物だが、俺のはこの金筆だ。
俺はこれを使って独自の絶技、金筆十三式を練り上げた。歌詠み、作詞、絵画の時に悟った技術を応用してな。
三絶:もし手合わせならば、余裕だと思っているだろう?
無剣:試合ならまだ勝ち目はあるけど、
詩を読むとかだったらどうしようもないですからね。
三絶:ははは。
無剣:では――
道を切り開く
無剣:ありがとうございました。
三絶:俺のこの筆法は詩、詞、画の三つに分けられ、非常に多変的だ。
詩の金言、詞の曲調と、画の技法が複雑に絡み合うが、それぞれが独立している。
三つの筆法が交互し、何千という変化をもたらす。
三絶:詩、詞、絵画に通じなければ、十手は戦えるだろうが、俺には勝てまい。
当時剣魔に負けたのは、彼の剣が無常無端で、想像の斜め上を行っていたからだ。
三絶は筆を持ち上げ、当惑の眼差しで私を見た。
三絶:俺は君もそのように戦うと思ったが、まさか逆に不変をもって万変に対応してきた。
三絶:これはいったいどういう事なのだ?
無剣:ええ、あなたの筆法は多彩でした。
無剣:だから、私は内力を一点に集中し、力づくで突破するように戦いました。
技の比べ合いですと、今の私ではかないそうになかったので。
私の言葉を聞き、三絶は分かったように頷いた。
三絶:ははは、君との手合わせは実に面白かった。
三絶:ここから先にある橋が山頂への道だ、次兄が山の中腹で待っている。
無剣:よし!それでは失礼します。
三絶:気をつけるんだな、うちの次兄と長兄は非常に強い、用心してかかれ。
無剣:では山頂で!
三絶:山頂で会おう。
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